大昔の人は、人が死ぬとその霊は天に昇り月の世界に安らぎ給うと考えられ、人の死を昇天、あるいは黄泉(よみ)の旅と言いました。黄泉とは、月の事で月の光が黄色を帯びる事jから黄泉の語が起こったといわれます。昔天照大神は月読見命に命じて先祖の霊を慰めるため月の世界へ使者として派遣されました。命は元日に出発され12日に月に到着し、無事任務を果たして13日に月を出発して帰途につかれ、23日に無事都にお帰りになって大神に任を果たした事を報告されたので大神はその労をねぎらって祝宴を催されました。この神話に基き、旧暦12日を12夜待ち、23日を23夜待ちといって祖先の霊を慰める祭日としました。明治になってからは戦場にある兵士達の武運長久を祈願する日となりまた親、兄弟、親族が他県にある時はその人々の健康を祈願する日となりました。また23夜待ちは婦人の寄り合いのの日とされ、食べ物を作って神前、霊前に供え皆でお茶を飲みながら月の出を待つ風習がありました。この23夜待ちは1月、5月、9月が盛んに行われました。どの集落でもありましたが柊原地区、新城地区が(浜だご)として残っています。
作り方
サツマイモをふかし、熱いうちに潰します。つぶした中にだんご粉を適量いれ直径6,7センチの棒状にして(各家庭によって異なる)蒸し器で20分程蒸す。蒸しあがった団子を糸で切り、粒あんをまぶし23個、重箱につめて食卓に、お客さんに出す。
こぼれ話
昭和46年秋しばらく地元の病院に勤務した。柊原出身の女性が末期のがんで入院、70代のお姉さん3人が泊まり込みで足をさすりシップ薬をはり献身的に看病された。その時よく差し入れにいただいたのがこの「浜だご」だった。いつも重箱にいれて頂いたのが印象的でおぼえていた。あれから40年、この「浜だご」を作る人を捜したが今作る人はいないときいていた。9月のある日、いきいきサロンにこられるTさん(新城)が作ってこられた。興奮する私をみて、昔母が今頃作っていたので思いだして・・・と謂れは知らないとの事、やったー!!