垂水麓武家門のある風景

垂水麓武家門のある風景伊集院家

垂水麓は蒲生、出水などの麓とならんで町並みの美しい城下町でした。薩摩藩は鶴丸城を中心に藩内に103外城がありそこを麓といっています。垂水には牛根麓、垂水麓、新城麓があり垂水と新城はは垂水島津家の私領でお仮屋を中心に武士集落がありました。牛根は地頭が治めていました。

垂水麓は道路もよく整備され仮屋前の通りを上馬場、犬の馬場、中馬場、早馬、後馬場、など地名が残っています。武士の家には武家門があり生垣はゆすなどで囲まれていました。仮屋近くは川上、伊集院、町田の主な家臣が住み屋敷も広く今の坪数にすると約1000坪ぐらいあります。昭和40年代まではたくさんあった武家門も現在はこれだけになりました。

 

昭和46年垂水小学校近く麓集落に嫁ぎました。その頃は武家門もたくさんあり元士族というプライドをもち背筋をピンとのばした方がたくさんおられました。姑と一緒に本家に挨拶にいくと「あーら在からおもろやしたと?」(農家から嫁をもらったの)と言われ、意味が分からず気にもしませんでした。義父は「男は店やん先、立つもんじゃなか!!」と死ぬまで買い物はしない、風呂は1番先、店屋物は食べない、同じおかず’(残りもの)は食べない、外出する時は身なりはきちんとする。など武家の教育を受けた最後の人でした。

垂水には麓言葉という独特の言葉があります。京ことばに近い優雅さがありますが麓で生まれ育った人しか使いこなせません。

(どこに行ったんですか?)(どけ、おさいっじゃすろかい?)、(もういいですから)(も、よすごあんで)(ありがとうございました)(あいがとさげもした)、(また会いましょう)(また、めいやげもんそ)