2月25日~3月4日まで「春を呼ぶ垂水土人形展」を開催しました。25日のオープニングはあいにくの雨模様でした。オープニングセレモニーでは皆さん自前の大島紬をきていただきました。
垂水は大正の初めから大島紬の生産が盛んでした。特に柊原はもともと白絣を織る「授産場」と工場があり地元の女性がはたらいていました。山田,明、川口という方が大島紬の技術をもちこみ小学校の義務教育を終えると機織りの技術を身につけ現金収入を得ました。1ヶ月に10円程の収入があり女の子が3,4人もいますと親にとっては嬉しい収入だったそうです。この地区は日本一の子だくさんで有名でした。農業だけの収入では厳しい生活でした。
昭和20年8月5日垂水大空襲でほとんどの家が焼かれ機織りも途絶えましたが高度成長の兆しとともに昭和30年から鹿児島市の織り元が次々と機械織の工場を建て、紬織の技術をもった地域の女性たちを採用し垂水は再び紬織が盛んになりました。
今回参加者の皆さんが着られた紬は母親やおばあさんが自ら織った紬を仕立てて嫁入りに、結納返しに準備された物です。何十年と箪笥に仕舞われていた紬ですがこうして垂水の観光に一役かっていただきました。
市長夫妻も副市長夫妻、観光協会長、観光課長、千本イチョウ園中馬さんも皆自前の大島紬です。