川井田家の蔵から善衛門さんあての手紙に明治32年5月17日発行の「彰善会通常会員票」が出てきた。会長は男爵高崎正風とある。
高崎正風は明治2年~4年まで垂水の地頭を務めその間に作られた「学則」を制定し明治2年垂水学校を設立した。その後大久保利通に随行清国に渡り、明治19年明治天皇御歌所長となる。明治22年島津久光公重体によりお見舞いに来鹿し垂水にも来られ、川畑市兵衛宅に止宿とある。
「彰善会」とは明治31年に設立され「彰善会誌」第1号に理念と方向性が書いてある。(むずかしいのでわかる範囲で・・・)高崎正風の教育勅語実践運動活動の中で道徳教育に重点を置き優れた人物(孝子、義僕,節婦等に限らず国家に忠節を尽くした人々)を表彰する。
その後太平洋戦争に至っては教育勅語は別な方向へ進み敗戦後失効した。
会員の中には伊籐博文、樺山資紀、柳原愛子、前島密、西郷従道夫妻、税所敦子、等そうそうたる歴史上の人物の名前がある。
会長は高崎正風、評議員ー品川弥次郎、前田正名などの名前がある。川井田善衛門は設立の翌年に会員票を貰っている。
彰善会の当初の目的は国づくりの為の人づくりだったのだ。その後日本が戦争に向かっていく時、利用されたのか?そういえば会員の中に陸軍大臣、海軍大将の名前もある。