和田家の墓石の左面いっぱいに刻んである碑文を早速S氏に読み下だししていただいた。
明治三四年夏大雨連句城山之地洪水氾濫土石崩壊山下墓地被害甚我家祖先之墳墓 亦埋没百方捜索遂得知其所在子孫之情不可忍也於是ト其旧地改建一墓石云
読み下し
明治34年夏、大雨連句、城山の地は洪水,氾濫,土石崩壊して山下墓地の被害甚だしい。我が家の祖先の墳墓も又埋没し、百方捜索すれども遂に其の所在を知る事得ず。子孫の情、忍ぶべからずなり。是こにおいて其の旧地を卜し、改めて一墓石を建つと云う。
和田家の親戚M氏宅の一角にある墓石は三基です。M氏に伺うともともとここにあった墓石ではなく垂水島津家の墓地の裏山が十数年前に崩れ家臣団の墓もたくさん埋まった。その際、M氏が和田家の墓石を発見、自分の墓地の一角に建てたのだという。
垂水市教育委員会発行の「垂水諸家略系図」にある和田家初代助有は町田家の分家で1574年に独立し役職は御小姓、お納戸役、2代目助倍は家老見習いを経て御家老を務めている。