垂水市本町商店街にある豪商の蔵の調査をしている。何回も書いているがこの本町は垂水島津家の御用商人だった。島津氏の領地返還後、新政府には薩摩出身の大臣が誕生した。前田正名氏もその一人で1850年(寛永3年)鹿児島に生まれた。薩長同盟の密使に加わり坂元龍馬から短刀を貰った。
1868年(明治2年)フランス総領事モンブラン伯爵に随行しパリに留学、1876年帰国パリ万国博覧会事務館長を務めた。
明治14年大蔵省、農商務省の大書記官になり国内産業の実情を調査し植産興業に貢献した。
明治21年第7代山梨県知事に就任「蓑笠知事」と呼ばれた
明治22年貴族院勅撰議員
明治31年宮崎県の開田事業、北海道・釧路市で最初のパルプメーカ「前田製紙合資会社を設立、男爵
前田正名氏は大隅に来られるとK宅を常宿とされ、猪肉が好物で度々送っていたという。その御礼状、しし汁を政府要人の方々と食したという文面も見られる。
K氏宅が昭和20年8月5日の垂水大空襲で焼ける前はK氏の祖父、前田正名、東郷平八郎が一緒に写した写真が居間にあったという。