土人形展の案内、物品販売など10数名のボランテァの皆さんが手伝いして下さいます。60代、70代で故郷垂水の為ならと毎日来て下さいます。経費削減の為に賄い担当は「銀杏おこあ弁当」のKさんが日替わりでおいしい料理を作ってくれ、これが何よりの楽しみの一つなのです。
初日の御昼に70代Sさんが周りの方々に向かって「ほら、おそよだって!!」と言いました。何十年ぶりに聞く鹿児島弁でしょう・・・それから子供のころの風景がよみがえり、垂水で育った面々は「わあーなつかしい」とそれぞれのおそよについての思い出話しに花が咲きました。
昭和の30年代頃まで田植えや葬式、結婚式など全て自宅で行っていました。親戚、地域総出でお手伝いをする。親が加勢に行った所の子供達も庭にござを敷いて夕ご飯が食べさせてもらえるのです。白いごはんと鶏の煮ものぐらいでしたが子供心にそれはそれは御馳走でした。レストランに行く感覚でしょうか?
その場にいた鹿児島市内や都城の方々にも訪ねてみましたがそのような習慣はないとの事でした。次の日はおそよってどんな字を書く?という話になり昼食時は「おそよにいっど」が合言葉になりました。