ここ数年『垂水千本イチョウ』として有名になった中馬吉昭氏ですが御先祖は伊地知家の分家です。今回は千本イチョウで有名な中馬家を取り上げてみます。 中馬家の家系図をいただいておりますので家系図をもとに吉昭氏の説明を織り交ぜながら記します。
伊地知氏は秩父(畠山重忠)の子孫で加賀の国(今の石川県)の地頭であった伊地知季随が暦応3年(1340)島津貞久に仕えるようになって季随の孫、季豊に垂水の地を与え、本城を中心に250年治めた。
中馬吉昭氏の調査から
畠山重忠は鎌倉幕府源頼朝の重臣だったが政権が北条氏に移り逃げる途中横浜で殺された。島津忠久(初代)が守護だったので福井県伊知地を治めたのが名前の由来だという。薩摩に下向してから伊地知氏となった。福井では伊知地と書くらしい?
畠山重忠―重保(伊地知元祖)-重勝(中馬元祖)とあり伊地知季豊が島津氏に従い水之上本城に土着し垂水伊地知氏家老をつとめた。
代々島津氏に仕え分家で家老であった中馬重頼は(1522)高城の肥後氏を攻め戦死、その霊を慰めるため今の川畑瓦工場の山手に荒人神社に祀られています。この重頼が使用した長刀(194センチ)が上之宮神社に保管されています。
中馬家は代々「重}の字を嫡男が引き継いできましたが江戸時代(享保年間)島津家24代重年公の時、太守と同じ「重」の字はおそれおおいとしその後は「勝」の字を嫡男につけました。昭和20年以降は重の字に戻し「重勝」となっています。吉昭氏で32代目です。