12月27日の南日本新聞地域総合欄に我が故郷「大野原、開拓魂で地域おこし」と題して大きく取り上げて頂いた。
団塊世代、子供の数が多い家庭は7、8人が普通で学校から帰ると大きな釜に「つらさげ芋」がドーンと煮てあった。食べざかりの子供達は芋でお腹いっぱいになり、夕方まで徒党をくんで遊び、お手伝いをした。
大人になっても恋しいとは思わなかったが年齢を重ねると懐かしい味で他の地域のサツマイモとはちょっと味が違うなとはきずいてはいた。大野集落の人達も分かってはいてもじゃあどうすればいいの?という思いだった。
2009年に市から提案された「地域振興計画」の策定で地域の特性を生かしたまちづくりで住民自らとりくんでもらうのが狙いだった。翌年公民館長に就任した田之上光男さんが、幼い頃から食べていたつらさげ芋に着目した。
一定の温度を下回るとサツマイモは凍傷にかかり煮えない。温度調整の出来る貯蔵庫と芋干し場が出来、地域住民のやる気はますます熱を帯びる。故郷が元気な事は他の地域に居ても嬉しい。