佐土原島津、400年事業に向けて

佐土原島津、400年事業に向けて-垂水市役所訪問

7月6日佐土原から4名のお客様が市役所、図書館にあいさつにみえました。

1613年、垂水島津家2代以久(ゆきひさ)候が佐土原島津家3万石の藩主として行かれて来年2月で400年になる。これを記念した行事が来年実施されるため、実行委員会がたちあげられるそうです。

 戦国時代、豊臣秀吉20万の兵に負けた島津家は義久の娘、義弘の息子、そして垂水からも以久が人質として大阪にいった。以久は秀吉にたいそう気にいられ茶道具としては3大名器の一つ「楢柴の肩衝」をもらったという。「楢柴の肩衝」をもらうということは藩主となるくらいの価値があったという。その後佐土原を徳川家康から与えられ、お礼にこの茶壺を献上したという。徳川3代家光までは使われたがその後、江戸城の大火で行方不明になった。

 53歳で佐土原藩主として赴き、10年間在職し明治2年の廃藩置県まで10代続いた。ちなみに昭和天皇の末娘(貴子)さんのご主人は佐土原島津家13代の二男にあたる方だそうです。

 あいにくの雨の中、垂水で以久候ゆかりの地(垂水城址,殿加神社、お長屋、島津墓地)など見学された。

 来年2月以久候が垂水から佐土原へ赴かれるときの行列を再現される予定とか伺いました。20年前は佐土原から垂水へ戦国時代の衣装で来られました。当時は佐土原から5日かかったそうです。