10月23日資料館に御客さんがありました。以前お電話いただいた大阪在住のTさんです。お母さんが垂水出身で71年前お母さんの妹「田之上絹子」さんが第六垂水丸遭難事故で亡くなったので詳しく知りたいとおいでになりました。
8月に図書館で展示会がありほとんどの資料写真が貸出状態でした。あわてて引き取りにいき、みて頂きました。
昭和19年2月6日当時、絹子さんは20歳、東京で働いて、婚約者との結婚の許しをもらいに大野原の実家に帰省していました。弟は鹿児島の連隊に所属し、出撃する寸前で最後の面会日といわれお母さん、絹子さん、赤ちゃんの弟の三人で第六垂水丸に乗り合わせ三人とも亡くなりました。
連絡のない婚約者はわざわざ東京から大野原に消息を尋ねに来ました。絹子さんが夢枕に花嫁衣装をきた姿で現われるが何かあったのかと・・・当時の状況では知る由もないのです。
資料館には絹子さん、お母さん、赤ちゃん、出征し亡くなった弟さんの写真はありましたが婚約者の写真なんて手にはいるはずがありません。
今回Tさんがお母様の古いアルバムから絹子さんの婚約者の写真をもってきて下さいました。この世で一緒になれなかったお二人の写真を並べて一枚にして展示しようと思います。
もう第六垂水丸沈没の遺族の方々も高齢になりなかなか資料、写真も集まりません。平和について後世に語り継ぐ貴重な写真とTさんの活動を期待します。