2月18日、本城城址にある川上、町田家老の墓地の清掃作業をしました。平成28年9月の台風16号で大変な被害を受けた地域です。
垂水島津家4代久信に誅殺され、島津家墓地には埋葬が許されず、不憫に思った福寿寺の住職が伊地知家の菩提寺に葬った。
川上家老はうっそうと茂る竹やぶの一番奥に次男と眠っておられる。
垂水島津家3代彰久と朝鮮の役に従軍し彰久が病死したのちは大将を務め、朝鮮をあとにする時は30数か所の刀傷を負いながら帰国した。
2代以久公が佐土原島津家を拝領する際は前年に赴き伊東氏の動きを探り安全にお国入りを果たした。
徳川家康の時代になっても領地問題はくすぶり、垂水島津家4代久信に本家のまわし者と誤解され林之城で息子共ども誅殺された。
今回垂水市の史跡に認定されました。