姉妹交流提携記念植樹が行われました

  400年の時をこえて

 宇喜多秀家公は岡山57万石の藩主でありながら1600年関ヶ原の戦いで豊臣秀吉の西軍に属し5大老の一人として戦った。小早川秀秋の寝返りによって敗戦の将となり1601年一隻の船で山川港から牛根に入り2年3ヶ月平野家で謹慎された。その後久能山に幽閉され八丈島へ流される。1655年84歳で八丈島で没す。

 島津の依頼で秀家公を匿った牛根の豪氏、平野家では本宅を秀家公に、自分達は海沿いの隠居家に住んだ。徳川家康の特別なはからいにより秀家公は八丈島に流されたが平野家ではその後の秀家公の消息は知らなかった。毎年11月の霜月には公を偲び供養してきた。

 400年の時はすぎ、今岡山との交流が実を結び郷土史研究会が姉妹盟約を結び交流を深める事になった。偶然この祭事に遭遇し参加した。400年、毎年供養してきた平野家も、1185年壇ノ浦で敗れた平家の落人といわれ現在の当主で36代目だという。九州の最南端のこの山奥で平家の落人、関ヶ原の敗戦の将は何を思いくらしたのだろう、この潜居地に立つと時は止まってしまう。