垂水の諸家略系図 桑波田氏

 垂水市内に3家の桑波田家の系図がある。その中の本家だろうと思われる資料。

 桑波田氏ー紀姓  紀 貫之之孫、薩州伊集院ノ領主伊集院能成ノ7代四郎春清入道迎西之三男源智、、別家居住伊集院桑 波田庄とある。

 紀 貫之とは平安時代(866~945)土佐日記を書いた人(ひらがなで書かれた初の記)、小倉百人一首(人はいざ こころも知らずふるさとは 花そ昔の香ににおいける)の作者

 垂水の桑波田氏は4代の景義が太守義久の命により国分の清水から垂水にきて垂水島津家2代以久夫人に仕えた。

  5代景永が垂水島津家3代彰久(義久の次女と結婚、朝鮮の役で病死)に仕えその後4代久信の命により母親(義久の娘)と鹿屋へ移る

 8代景朝の二男景房を初代とする桑波田氏は「御側医師」が何代も続き、いまでもこの流れと思われる子孫の方々が代々医者です。

 桑波田医院、桑波田診療所  

 次回は町田氏を紹介します