11月18日の南日本新聞に「来年島津氏の佐土原入城410年」を記念して足跡をたどる武者行列が行われる。
現在の宮崎市の一部にあたる旧佐土原藩の初代藩主、島津以久がかつての大隅垂水から佐土原に移り住み2014年で410年を迎える。宮崎市と垂水市は来年2月両市で記念イベントを行う。
垂水島津家2代「以久」は天文19年(1550年)現在の国分清水城で生まれる。父親は垂水島津家初代忠将で義弘の叔父になる。12歳の時父忠将が戦死、三州統一の真っただ中垂水城に入る(現在の元垂水)
破竹に勢いで九州の豪族を攻め滅ぼし、後一歩のところを大友氏の援軍として豊臣秀吉が薩摩を攻めた。16代義久は川内泰平寺において秀吉に降伏した。
人質として義久の娘「亀寿」とともに以久、彰久親子も上洛。この時以久は秀吉に拝謁し、お茶道具の茶壺「楢柴の肩衝」をもらった。当時3大肩衝きといわれ、城主として領地をもらうに等しい品物だった。秀吉としては16代義久と弟義弘を分裂させようとの魂胆があったがなかなか兄弟の仲は崩せず、いとこの以久に揺さぶりをかけたのだという。この「楢柴の肩衝き」は以久が佐土原島津家を徳川家康にもらったお礼として家康に献上した。徳川家光までは茶会で使用されたが江戸城の大火で行方不明となった。
53歳で佐土原藩主として垂水から出立し、10年間佐土原を治めた。昭和天皇の末娘貴子さんの御主人は佐土原島津家の方です。