10月31日の南日本新聞に「ベトナムからの研修生」との見出しで垂水漁協カンパチ加工場で働く若い女性の写真が掲載された。3年間で15名程受け入れるという。
この記事を読みながら、今から35,6年前ベトナム戦争の最中、小さな船で鹿児島に漂着したベトナム難民の家族を受け入た事を思い出す。、当時の枝元市長が本城川沿いに住まいを提供し、子供達は垂水小学校「さくら組」を編入、大人は地元の企業に働き、すっかり垂水に馴染んだ頃、第3国アメリカに移住していった。当時垂水小学校で担任したM先生はその後も子供達と交流された。
現在40歳前後、研修生のお母さん世代になっているはず。尾脇市長がベトナムに行かれた際も多分話題になった事だろう。かって垂水で暮らしたベトナムの難民の方々同様、研修生がわずか3年でも(垂水にいってよかった)と思ってほしい。
35,6年前ベトナム難民の家族が住んでいた家に行ってみた。当時とてもしゃれた家だった。その後廃墟となり荒れてはいたが女性と子供が多い難民家族を思い出した。