平成15年10月開催された「国文祭」の大隅歴史街道のイベントで協力していただいた鹿屋、錦江町、南大隅町の郷土史研究会の役員さんと、これからも大隅の歴史をお互い学びあいましょうと約束した。今回は南大隅町根占のMさんの企画で会員の皆様と根占横別府にある「前田用水路」を見学した。
きっかけは江戸時代垂水島津家の御用商人として栄えた本町商店街の蔵の調査を、長崎大I先生にお願いした。蔵に放置されていた(なかには床に散らばっていた古文書も)中から『根占前田用水路竣工式典案内状』が出てきた。(なんで?根占の用水路の竣工式に招待されているのか?)との疑問から仲間のS氏が根占町史を調べて見ると前田正名が着工に尽力した用水路が現在もある事がわかった。前田正名はこの頃本町の豪商K宅に泊まっている。直筆の手紙も9通残っている。
明治政府の要人として全国の農業産業振興の現場で実績を残している。その資金調達の為垂水の豪商K家にも協力してもらったのではないか?
根占の山手横別府集落に100ヘクタール作られた水田は今も前田用水路から引き込まれる水でおいしいお米が採れるという。高齢化が進んでいるはずの集落の田んぼが見事に手入れされている。13代続く鹿父(しかぜ)神社の神官打越さんが前田用水路の歴史を詳しく説明して下さった。
前田用水路が完成してお米がとれるようになると集落の人びとは収穫した米の半分は前田正名に上納米とした差し出したそうです。
M氏の話では福岡で亡くなった前田正名は葬式列車が仕立てられ、各駅で世話になった人びとが乗り込み正名の遺体に手をあわせ、最後の別れをしながら自宅へ向かったという。